能楽堂 京都観世会館

実盛(さねもり)

あらすじ

 諸国を廻る遊行上人(ゆぎょうしょうにん)(ワキ)は、加賀国(石川県)篠原の里に留まっています。説法(せっぽう)の折に上人が(ひと)(ごと)を言っていることを不審に思い、篠原の里人(アイ)は理由を尋ねようと考えています。

 説法をする上人のもとに、また今日もどこからともなく老人(前シテ)が聴聞(ちょうもん)にやって来ます。この老人の姿は上人にしか見えず、人々の目には上人が独り言を言うように映ってしまうのです。上人はたびたび名乗るよう老人に求めます。過去を語ることが成仏につながると上人が(さと)すと、老人は篠原の合戦で討ち死にした斎藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)の幽霊であると明かし、姿を消します。

 独り言について尋ねにやって来た里人に、上人は実盛の最期(さいご)について語るように頼みます。上人は実盛の幽霊を踊り念仏で(とむら)うことを決め、里人はその旨を触れ回ります。

 上人たちが弔いを始めると、水面に実盛の幽霊(後シテ)がきらびやかな武者姿で現れます。修羅道(しゅらどう)の苦しみから逃れ、成仏することを願う実盛は合戦のことを語り始めます。白髪を墨で染め若く装って戦ったこと、さらに討ち死にを覚悟し(にしき)直垂(ひたたれ)を身につけて出陣したことを語ります。そして手塚太郎光盛(てづかのたろうみつもり)に討ち取られた最期の有様を見せて、弔いを願い姿を消します。

見どころ

 『平家物語』巻七で知られる斎藤別当実盛の武士としての生き様と最期の様子を、世阿弥が舞台化した作品です。「加賀国篠原の里に実盛の霊が出現し、遊行上人と出会う」という設定は、応永二十一年(1414)に広まっていた風聞(ふうぶん)によっていると考えられています。篠原で実盛の霊が時宗の上人から仏法を授けられたという噂を枠組みとして利用し、気骨(きこつ)ある老武者・実盛の()(ぎわ)があざやかに描き出されています。

 篠原の合戦は、寿永二年(1183)、源氏軍の木曽義仲が平家軍を破った戦いです。平家軍として出陣した実盛は、平治の乱以前は源義朝(頼朝の父)に仕えていました。父・義賢(よしかた)が討たれたことで遺児(いじ)となった二歳の義仲とその母を木曾へ向かわせたのは、実盛でした(『源平盛衰記』)。故郷の北陸での合戦で討死を覚悟した実盛は、最期の相手に相応(ふさわ)しい人物として因縁(いんねん)のある義仲を選んだのです。

 後半は、実盛の幽霊の懺悔(ざんげ)の物語が見どころとなります。自分の死後の様子、そして最期の有様を語る実盛の幽霊は、討ち取られた自分の首が池で洗われるさまや、手塚太郎光盛に討ち取られるさまを、身振(みぶ)りをまじえて語ります。

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