誓願寺
あらすじ
鎌倉時代。「念仏を信じる者は救われるというが、信心を起こせない者を救うには、どうすればよいのだろうか」と悩む念仏僧・一遍上人に、熊野本宮の神は、夢の御告げを与えます。それは、「信心があろうと無かろうと、念仏を唱えさえすれば誰もが救われる。安心して教えを弘めなさい」というもの。上人は感激し、志をあらたに、布教の旅へと出発してゆきます。
本作は、その旅の途中、京都 誓願寺を訪れたところから始まります。一遍上人(ワキ)が供の僧(ワキツレ)と共に「念仏によって必ず救済される」という保証の御札を人々に配り、布教していると、そこへ一人の女(前シテ)が現れます。女は、御札に書かれていた言葉を疑問に思いますが、実はそれこそ、上人が熊野の神から与えられた託宣でした。女は「誰もが救われる」という教えに感動し、上人を拝みます。
やがて女は、上人に寺の額を書き換えてほしいと頼むと、自分は平安時代の歌人・和泉式部と明かして消え失せます。
驚いた上人が土地の男(アイ)に尋ねると、式部はこの寺に縁のある人物であったと教えられます。そこで上人が「南無阿弥陀仏」と額に書き、念仏を手向けていると、今や極楽浄土の歌舞の菩薩となった和泉式部の霊(後シテ)が出現し、寺の本尊・阿弥陀仏の功徳を讃えて舞い、額を拝むのでした。
見どころ
本作のシテ・和泉式部は、実在する平安時代の女流歌人・作家で、恋多き女性であったことが知られています。能楽の成立した中世では、和泉式部は罪深き女人の身ゆえに苦しみ、救済を願い続ける人物として描かれることが多く、本作もまた、中世の伝承世界の和泉式部のイメージを踏まえて描かれています。
この和泉式部に救済を与えるのが、ワキの一遍上人です。一遍は、踊念仏で有名な鎌倉仏教の宗派「時宗」の開祖にあたり、踊念仏のほかにも本作に描かれるような、救済を保証する御札を配り歩く「賦算」をおこなって念仏の教えを弘めた人物でした。本来は手のひらに収まるくらいの御札ですが、本作ではそれよりは大きな御札が舞台上に持ち出され、一遍上人は女に授けます。
後場では、一遍上人が主宰する法会の場面が描かれ、念仏の声の響く堂内は阿弥陀仏の来迎を彷彿とさせるような聖なる奇跡の空間と化します。その中に、後シテとして和泉式部の霊が出現し、仏を讃美して美しく舞を舞うというのが、後場の見どころ。現在の演出では、後シテの天冠には白蓮が立てられることが多く、清らかな菩薩の姿で緩やかに舞い戯れるシテの美しさが印象的です。
崇高な宗教劇の世界を、お楽しみください。